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この日私は、普段は通らない路地に足を向けた。


池袋という街は、道一つズレただけでガラリと雰囲気が変わる。
それは、学生という代わり映えのしない毎日を過ごす中で、手軽に出来る気分転換としてとても有効だった。

そんな気持ちで、今日も見慣れぬ空気を楽しみながら、まだ辛うじて空を照らす夕焼けの中を歩く。


「………ん?」


ふと、進行方向の先が騒がしい事に気付き、嫌な予感が胸中を過ぎる。

近付くに連れ、それが数人の男が揉めている声だと分かり、予感は確信の色を強めた。


――どうしよう………一旦引き返そうかな…。


徐々にブレーキが掛かる歩みと共に思考を巡らせるが、取り敢えず現場の様子だけでも窺おうと、意を決して喧騒の漏れ聞こえる角を曲がった。

刹那、


「邪魔くせぇんだよてめぇぇらぁぁぁあああッ!!!」


響く怒号。轟く絶叫。

フワリと揺れた金色が、宵の闇を孕んだ夕日に映える。
スラリと伸びた四肢が、無駄のない動きで自動販売機を持ち上げ、空高く放り投げた。

多分、ほんの数秒の出来事だった筈だ。
しかしそれは、鮮明に、強烈に、私の視界と思考を奪い一瞬で脳髄に刻み込む程の衝撃。

この池袋において、何があっても、どんな存在だとしても、『絶対に喧嘩を売ってはいけない』人間がそこに居た。


「ぎゃああぁぁあああッ!!!」


勢い任せの放物線を描いた自動販売機は、道路に散らばる十数人のチンピラ達の断末魔を切り裂き、轟音を上げて壁に突っ込む。

それで終われば、私はただの見物人で済む筈だった。

しかし、ガキィン!と金属音が響くと同時に勢いよく噴き上がった水柱が、それを許さない。


「…え?っ、うぎゃあっ!!」

「………あぁ?」


運悪く、自動販売機の直撃を受けた消火栓が壊れ、四方に大量の水を溢れさせた。

ある程度離れた場所にいたおかげか、水流の直撃を受けて吹き飛ばされる事態は避けられたが、まだ本格的な冬に入っていないとはいえ、肌寒い時期に何故か私は盛大な水浴びをする羽目になっていた。

ポタポタと全身から滴る雫を感じながら、状況を飲み込めない脳で呆然と立ちすくむ。


「おい、大丈夫か!?」

「…ぇ、え…?あ、はい!」


突然、鼓膜に響いた声に思考を引き戻され、思わずビクリと肩を跳ねさせながら反射的に声を零す。

気が付けば、目の前にバーテン服に身を包んだ長身の青年が駆け寄ってきた。


「怪我はねぇか?…悪かったな、巻き込んじまって…」


申し訳なさそうに金糸の髪をかく男は、紛れも無く、さっき自動販売機を投げ飛ばして暴れ回っていた人間だ。
しかし、青いサングラス越しに見える瞳は、鋭い作りではあるがそんな凶悪さは微塵も感じられない。

私は色んな事象に全力で混乱しながらも、慌てて口を開いた。


「あ、いえ大丈夫です!濡れちゃっただけなんで!」

「…そうか」


ぱたぱたと手を振りながら笑顔を向けると、青年はホッとしたように息を吐き出した。

瞬間、強烈な寒気が全身を貫き、思わずクシャミを零して自分の体を抱きしめるように身を固める。


「…っ、寒い…!」


そんな私の様子に僅かに顔をしかめた青年が、顎ですぐ側のビルを指し示しながら口を開いた。


「取り敢えず中入れ。そのままじゃ風邪引いちまう」

「え?あ、あのっ」


そのまま、スタスタとビルの中に入っていく背中を見つめ、一瞬どうしようかと迷ったが、吹きすさぶ冷たい風に促されるままに後を追った。



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