団地妻で10のお題
□1.いってらっしゃい
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コトコトと、キッチンから聞こえてきた朝の支度の音と一緒に漂ってきたのは味噌汁の匂い。
夢とうつつの狭間で軽い覚醒を促された。
カーテンの隙間から洩れる陽射しが竜崎の頬を撫で始めた頃、ライトが寝室のドアを開けて入ってきた。ベッドの端に重みを感じ、軋んだスプリングの揺れが竜崎を微睡みの中で漂わせる。
「――……竜崎」
心地好く耳に響いた声が竜崎を目覚めるよう急かした。
「起きて、朝だ」
「――……眠いです」
「ほらもう、起きないと遅刻する」
「――もうすこしだけ……」
ぐぜる子供のように布団を掴んで起きようとしない竜崎の肩を揺らす。
「ダメだ、早くしないと迎えが来る」
「――…では奥さん、キスして下さい。そしたら起きます」
「――ったく、結局それが目的なんだろ?」
「否定はしません」
ひとつ大きな溜め息を吐いて、布団から顔を覗かせる竜崎の口唇に、ちゅ、と軽く音を立てて自らキスを落として離れた。
「……ほら、起きろ」
「まだ、足りません」
「うわっ」
立ち上がろうとしたライトの腕を掴んで、ベッドへ引き倒すと自分の身体へと曳き込んだ。
大きな黒い瞳が見下ろすのをライトは呆れたように嘆息した。
「毎日毎朝同じことして良く飽きないな」
「この幸せをいつ如何なる時でも確かめていたいんです」
「はいはい」
首筋にかじり付いている竜崎を押し退けてライトはベッドを下りる。
「待って下さい月くん、まだ終わってません」
ドアへ向かうライトを竜崎が呼び止める。その声にくるりと振り返ってライトが言った。
「――……まだ僕の手を煩わせるのか?」
ゆらり、と背中に陽炎のような怒気を発しながらも、その口元には笑みを湛えている。しかし、そういう時のライト程恐ろしいことを、身を持って知っている竜崎はこくこくと頷いてベッドを下りた。
…――朝から暴力沙汰になるところでした。
それが自分の所為だとは露程の反省もなく、竜崎はダイニングの椅子に座った。先に席に着いていたライトは、待ち兼ねたように言った。
「さぁ、早く済ませて用意しろよ」
「頂きます」
箸を取ってテーブルの上に用意された朝ご飯を二人で食べ始める。どんなに自分が食卓へ来るのが遅くても、ライトは先に箸をつけることはない。そんな心遣いが、彼の育ちの良さや品行方正さを物語った。そして何より、最良の妻を得たという矜持を再確認するひと時だ。
「美味しいです。月くんのお味噌汁は天下一品です」
「当然だろ」
お椀に口をつけて誉めると、まんざらでもなく嬉しそうに微笑んだ。
何事にも負けん気が強く凝り性のライトは家事や料理にも手を抜くことはない。今では超がつく程の敏腕主婦だ。
食べ終えて食器を片付けていた頃、軽快なチャイムの音が鳴った。
「あ、竜崎! 迎えだ。ちゃんと用意したのか?」
洗い物を中断し手を拭いてリビングに向かうと、ソファに座った竜崎がまだパジャマのままテレビを観ていた。
「竜崎……何やってるんだ」
「テレビを観てます。どうしたんですか? 私が一人でトランプをしているようにでも見えましたか?」
「――――………」
「いたたたたたッ……、酷いです月くん。何を怒っているんですか」
「自分の胸に訊いてみろ」
耳を掴まれて引き摺るように部屋へ連れて行かれ着替えを渡された。